由緒沿革

曹洞宗青龍山安穏(あんのん)寺
住職:二十四世 清野洋之

当山は、天正元年(1573)八月、五泉市興泉寺六世勅特賜直指峰台禅師の昌山春林を開山とし、創立しました。それ以前は、真言の寺院として栄えていた模様。

元来の在地は、新潟県中蒲原郡旧巣元村高山付近にあったものとされますが、明和二年(1765)阿賀野川氾濫のため、現在の同北蒲原郡安田町に移転しました。


七代古渓越岸大和尚の代には七堂伽藍の整備、改築がなされ、阿水三十三霊場のうち二十八番に定められるなど、近郷には類のない規模の整った寺として、多くの信者さんに加護され栄えたと伝えられています。
創立当時の殿堂は、元治元年(1864)の火災で焼失しましたが、千手観音像、優婆尊像などの仏像、仏具は雲水の手によって持ち出され、今に残っています。同三年、殿堂は再建されました。 現本堂は昭和五十三年十月に落慶したものです。


創立当時の殿堂は、元治元年(1864)の火災で焼失しましたが、千手観音像、優婆尊像などの仏像、仏具は雲水の手によって持ち出され、今に残っています。同三年、殿堂は再建されました。 現本堂は昭和五十三年十月に落慶したものです。